対症療法的政策

今日のYahooニュースで、こんな記事があって色々と疑問を感じた。

「大学生に勉強させよ…対策の大学に財政優遇案」

大学生が勉強しないことがひいては日本の国際競争力低下につながっているため、大学が学生にもっと勉強させるように財政優遇という政策でバックアップする、ということだが、ツッコミどころ満載だ。

これは対症療法がNGなケース

まず大学生が勉強しないのはインセンティブが無いからで、勉強しなくても卒業できるようになってるのがまず表面的にわかる問題点。じゃあなぜ勉強しなくても卒業できるのかというと、指導する教員がきちんと手間をかけて評価しないからというのがその原因。さらに教員がなぜ指導に手間をかけないかというと、例えば欧米の大学の教員は「学生の指導の上手さ」と「研究成果」とが半々くらいで評価されるそうだが、日本の大学では殆ど「研究成果」で教員は評価され、「学生の指導」は上手くやってもあまり評価されないらしい。なのでそれが原因だと思われる。ではなぜ教員の評価がそのようになっているのかについては、私は良く知らないがさらに深い原因があるのかもしれない。

で、「大学に投下される予算」はその大学の教員による「研究成果の総数」で決まっているはずなので、結局財政優遇というインセンティブでは問題は解決しないんじゃないか。もちろんどちらも文部科学省の管轄なので、後からでも政策の見直しは利きそうではあるが。

それともう一つ疑問なのは、「日本の大学でもっと勉強すること」が本当に国際競争力アップにつながるのであれば、博士課程を出た人が高待遇で企業の中枢に進めるようになっていなければならないはず。一番勉強した人がワーキングプアになってしまうくらいなのだから、多くの日本企業ではあまり「たくさん勉強した人」を必要としていないと思う。むしろバイトをたくさんして友達もたくさん作って社会経験を積んでいるような人の方が使い勝手が良く引く手あまただろう。

そうすると、「学生がよく勉強する大学」ほど卒業後の就職が難しくなって、結局入学志望者数が減って大学が損をするということだって十分考えられる。

ちなみに例えば大学が「iPhoneアプリの作り方を教える講義」とか企業のニーズにあうカリキュラムを増強して「学生がより勉強するように」したら、もうそれは大学ではなくて専門学校と同じだ。そうしたら大学はますます「大学卒」という証明書発行機関に過ぎなくなってしまう。

こういう、根本原因が解決困難な領域で政府が対症療法的政策を推し進めたせいで、市場経済のインセンティブを歪めて社会全体の効率が低下してしまうというのはとてもよくあるパターンだと思う。

対症療法がOKなケース

逆に、対象とする課題の種類によっては対症療法がOKなケースというのもある。それは例えば「自殺者数を減らす政策」というような、根本原因を解決することが困難でも現象のみを食い止めることが重要な場合。(昨年の震災で亡くなった方の数よりも昨年の自殺者数の方が遥かに多い。)先日、AKB48を使って自殺者数を減らそうとした試みで不評を買っていたが、もしそれが本当に自殺者数を減らす効果があるものならば、政策担当者は不評を跳ね除けてでもみんなにそれを説明すべきだった。簡単に引っ込めたくらいだから、成算はなかったのかもしれないが。

というわけで

今日は日本政府の政策をdisってみました。