多様体シリーズ(3)

今日も多様体の話を進めます。

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多様体の定義について、まだまだ残る疑問

前回の話で片付けてない疑問があったので少し考えてみる。平面上の円周を

中心からの距離が1の点の集合(*)

というふうに「距離」で定義したらどうマズいのか、という疑問だった。

具体的に懸念事項をリストアップすると

  • 円周上の点同士の位置関係をどう表現するか
  • 中心点のような「形の外」の点をどう表現するか
  • 円周は1次元なのに、平面という2次元の世界を土台としていいのか

といったところか。つまり一言でいうなら、

  • (1次元である)円周を定義するのに、「2次元平面ありき」で考えていいのか

という問題に集約されそうだ。

高次元ユークリッド空間から一部を切り取った部分空間としての「形」

これは即答しにくい問題だ。というのも、どんな「形」も、それより高い次元のユークリッド空間の中の一部を占めていると思えば「形の表現」は出来てしまいそうに思えるからだ。(*)は「平面上の点全体のうち『ある中心点からの距離が1』という条件を満たす部分集合」という風に表現できてしまう。「内部も含めた円」ならば、『ある中心点からの距離が1以下』という条件にすればよい。

この方向での一般化を考えると、「高次元のユークリッド空間の部分空間」を考えたとき、単純に位相を部分空間に射影させれば、それは部分空間の位相になるのは自明だから、それで定式化できてしまう。しかしこの定式化でマズそうなのは、平面上の「円周」と「(中も含めた)円」の違いを区別しにくそうなところだ。多様体の定義では局所座標という「見本」を「形」の上に写し取るので、「線と面」は「見本が違う」から簡単に区別できる。ってことは、局所座標というのは結構「後々のことまで考慮に入れた上でそう定義してある」のだろう。

勉強を進めてから分かってくることが、きっとある

けっきょく、「形を表現する」という直感的な要件だけから定義方法を一つに定めようとしてもそれはムリで、「後々便利な展開が生まれてくるような出発点」を数学者たちが試行錯誤して見出したのであって、「歴史を振り返れる時代に生まれたからといって、勉強を進めないうちに『理論の出発点が妥当かどうか』を簡単に見通せるわけではない」ということなのだろう。

そして、「歴史を振り返れる時代に生まれたアドバンテージ」と「自身の数学的センス」とを存分に発揮して最先端の数学までたどり着ける人たちが、プロの数学者の世界で活躍しているのだろう。

だから、「定義が天下りすぎて、すぐには受け入れられない」という「自分のセンス」へのこだわりが過ぎるのも問題だ。「過去の偉人たちが踏破した地点よりはるか前でウロつく」のは「単なる方向音痴なセンス」かもしれないことをもっと意識すべきなのだろう。

次回は先へ

今回は少しこだわりの大きい内容になってしまいましたが、「勉強の進め方」を考えるという意味では意義のある考察だったかもしれません。
つづく。