消費者のコスト感覚における有限性と無限性

CDという言葉を聞かなくなって久しい。DVDよりニコ動、プレステよりスマホゲーム、という人は多い。物理的な質感という長所があるにもかかわらず、パッケージメディアは時代遅れだという実感は確かにある。

パッケージの持つ質感を突き詰めると「有限性」をいかに感じさせられるかが鍵になるだろう。売れているAKBのCDには握手や投票という有限性を感じさせるおまけがついている。

人はある物の供給コスト(変動費)がゼロに近いと思っても、「提供物に有限性を感じる」か「一定の支払額で無限の提供物を得られる」なら金を出す。大衆消費者は固定費を低く見積もり変動費を高く見積もりがちなのだ。

ニコ動の無料会員における「立見席」は動画配信インフラをユーザの認知モデル上の有限性感覚に結びつけるいい例だ。幾らでもコピーできるアプリや電子書籍は「取り放題」の売り方が成功している。そしてソシャゲーのガチャの売上げもまた、固定費に辛く変動費に甘い人の性質ゆえではないだろうか。