評価と提供のレベルギャップ

「アイディアには価値が無い。エグゼキューションにこそ価値がある。」

これは何事においても、そしてスタートアップビジネスにおいては特に、至言だと思う。
みんなそれを分かっているのに、なぜ成功する人は少数なのだろう。

その根本原因は評価と提供のレベルギャップだと思う。

つまり、人は何もしなくても普通に生きてるだけで「物事を評価するスキル」は直ぐにレベル50くらいまで行くのだが、「物事を提供するスキル」は何もしなければレベル1のままだ、というのがポイントなのだ。

考えてみればそれは当然だ。人間は経験したことはどんどん慣れるように出来ている。人は小さいころからあらゆる物やサービスを享受して成長するので、消費したり授受するのに必要な意思決定すなわち物事を評価する機会というのは非常に多い。なので普通に生きてるだけで経験が豊富になり、レベルが自然に上がっていく。

例えば、レストランでご馳走を食べるという経験。美味しいものをおいしいと感じる舌は本能に備わった味覚もあるけど、日本で生まれたら小さいころから色んな食品に囲まれて育つし外食の店もいっぱいあるから家庭料理だけでなくプロの料理人の料理を味わう機会も多い。だから料理を味わうスキルはある程度まで自然に伸びていく。

けれども逆に料理を提供するスキルというのは、料理を作る経験はふつう料理を味わう経験よりも圧倒的に少ないので、レベルが上がりにくい。

こういうのが評価と提供のギャップだ。消費と生産で必要なスキルの差といってもいい。

そして、冒頭の「アイディアには価値が無い。エグゼキューションにこそ価値がある。」の話に戻ると、アイディアというのは評価するスキルのほうから出てくることが殆どなのではないか。だから人は普通に生きてるだけでも、結構いいアイディアというのは思いつくものなんじゃないだろうか。

そしてそのアイディアを物やサービスという形に変えようとする段階で問われるのは、提供するスキルだが、それは何もしてなければレベル1なのだ。

ちょっと思い浮かべてほしい。リブセンスの村上さんが作ったサービス。バイト先への雇用が決まったらお祝い金が出て雇用者は採用したときだけお金を払う、という人材仲介サービス。

貴方の「消費者としての評価するスキル」で見たとき、このサービスって凄いと思うだろうか。
私は別に大したことは無いよくある普通のサービスかなって思う。業界を変えたらしいけど、まぁどっかの業者が思いついてやりそうな話だなって思う。

でも村上さんは凄い。提供するレベルがハンパない。だから非凡な人だ。

こういう当たり前のことが起業家の意識としてすごく大事だと思う。

そして、この話にはちょっと続きがある。起業家が陥りがちな罠がもう一つあるのだ。本記事で私が言いたいことはむしろここから始まる。

何かというと、このギャップに気づいて、提供するスキルを地道に向上させていくようになると今度は評価するスキルのほうを忘れてしまいがちなのだ。

例えば、提供するスキルが30くらいまでいったとして、世の中にまだない新しいソフトウェア製品の開発に取り組んだとする。そうすると自分たちが提供する製品を評価する際に、提供スキルのレベル30の目で評価して「売れる!」と思い込んでしまうのだ。世の中の人はレベル50の目で商品やサービスを吟味するのに、である。

提供するスキルはかなり意識的にやらないと向上しないので、取り組んでいるうちに意識の大部分がそちらに行ってしまう。「評価するスキル」をいったん脇に置いとかないと「提供するスキル」を向上しにくいことも多い。

また、提供するスキルを向上させようとしているとき、評価するスキルを意識に入れていると「なぜ自分はこんな簡単なことが出来ないのだろう」という自己嫌悪に落ちいってしまう、ということもある。私もそうなのだが、評価するスキルをかなり脇に置いて提供スキルの向上に腐心するってことをよくやる。

そのせいで、ある程度のレベルまで提供スキルが向上すると、提供者としての自負心が生まれるからか、物事を評価する際にも提供スキルに頼ってしまうことが多いのだ。そしてその結果としてイケてないサービスのまま売れないことに悩むという事態に陥る。


以上、長々と書きましたが、こういうレベルギャップの構造がアイディアと実行の違いとか消費者目線に立つ難しさとか諸々の良くある課題を生んでるんだと思う今日この頃なのです。