「シンプルにする」ことと「考える」ことの両立

何かをやっていて自分よりも知識や経験のある人にアドバイスをもらうと、

  • 「難しく考えすぎ。もっとシンプルにやればいいんだよ。」
  • 「ちゃんと考えなきゃダメだよ。」

という相反することを言われて「???」となった、という経験を持つ人は少なくないだろう。

シンプルであることと、きちんと考えることは、どうやって両立するのだろう?もしそれが分かれば、知識や経験に乏しい領域でも上手くやっていけるメタスキルになるだろう。以下、私見を述べてみる。

複雑な物事をシンプルにするというのはどういうことだろう?それは、大事なところをつかんで、そうでないところを「無視」するということだ。つまり情報抽出をするわけだ。経験が豊富な人は、そうした情報抽出を容易くやってのける。つまり考えるという行為は、物事を単純化する手段というわけだ。

では、経験や知識が浅い領域ではどうしたらよいのだろう。何を無視してよいか分からないとき、不安なのでとにかく大事なところを落とさないように「全部入り」の情報抽出をしたくなる。ありがちなのは、自分が良く知っている領域の知識を当てはめようとするのだが、目前の課題の複雑さをくまなく取りこぼさずに「知ってる知識」に置き換えようとするあまり、元々の複雑さを減らさないどころかより複雑な捉え方をしてしまうというパターンだ。これではせっかくの知識の転用が活きない。

では、課題とする領域についてドンピシャリのシンプルな捉え方をするには、どうすべきなんだろう。やはり経験を積むしかないのだろうか。そんなことは無いはずだ。初めて経験する課題でも、可能な限りのシンプルな捉え方は出来るはずだ。そこでは自分が持っている他領域の知見が活きるかもしれないし、全く活かせずにゼロベースで仮説を立てないといけないかもしれない。いずれにしても、よく知っている領域の知見をそのまま転用してくる場合と比べて、新たに自分で生み出す知識、すなわち「自分なりの仮説」を打ち出さなければならない。

そうしたやり方で課題をシンプルに捉えたとしても、当然経験の浅いところから打ち出したものゆえに、その捉え方では上手くいかない可能性も大いにある。それでも、そうしたやり方こそが「シンプルにする」と「きちんと考える」の両方を満たしているではないか。

経験の浅い領域で真剣に課題にアプローチするって、そういうことなんじゃないかな。