最先端を知ることの意義

シェアオフィスで一緒の腕利きのグラフィックデザイナ・イラストレータのK氏がショッキングなイラストをPC画面に出してたので、面白くて色々話をした。

僕は常々イラストというものは「その人らしさ・その人のテイスト」というのが一番大事で、それが綺麗かどうかとか好きか嫌いかとかよりも、どれだけインパクトがあるかが作品の価値を決めるって思っている。

例えば、ドラゴンボール鳥山明先生は、鳥山明風のイラストというのがある。鳥山先生のバードスタジオでは今はおそらく実際にイラストを描いてるのは若いアシスタントたちだと思うが、その仕事はすべて鳥山明風のイラストだろう。

音楽もそうで、サザンオールスターズにはサザンらしさというのがある(というより桑田さんらしさ、かな)。サザンが嫌いという人はそんなに多くないとは思うけど、ユーミンが嫌いという人はちらほら見かける。プロの仕事って、好き嫌いよりも、インパクトを与えるエネルギーで決まるのだろう。

そういうことをK氏に話したら、確かにそうだと。そのショッキングなイラストは実はK氏のものではなかったのだが、K氏はそのテイストが気に入って、似た画風の絵を自分のタッチで描いたものを見せてくれた。ショッキングさは薄れて、よりポップな感じになっている。

K氏は「オリジナリティは組み合わせ」だという。それはもちろん、よく言われる話と同じだ。じゃあ組み合わせにもオリジナリティの高い組み合わせと、そうでない組み合わせがあるのだろうか。K氏は他のイラストレータの作品のテイストを参考にして自分のタッチに変えたり出来るくらい作画スキルを持っている、それはオリジナリティの源泉になっているだろう。

では「真似して自分のものにする能力」が高ければが高いほどオリジナリティの高いものができるのだろうか。K氏との雑談のあと、僕はトイレで考えた。

ファッションの世界では、いわゆるファッションショーというものが定期的に開催されている。最先端の超一流ファッションショーでは、こんなの庶民は着ないだろうしそもそもナニこれ?意味わからん、というくらいの奇抜なファッションが披露され、それを見たファッションジャーナリストたちはこぞって「時代の潮流」みたいなことを書きたてたりする。

ここでポイントとなるのは、素人目に奇抜に見えることに加えて、ファッションの仕事をしている目の肥えた人たち、すなわち「プロから見ても斬新」であるという点だろう。プロは普段からありとあらゆる種類のデザインやアートやファッションを目にしているから、ちょっとやそっとの奇抜さではインパクトを感じないはずだ。だから、超一流のファッションショーは素人目に奇抜なことをやっているだけにみえて、あれはものすごくクリエイティブに考え抜いて作られているのだろう。

イラストを「消費する」一般人からみると、最先端の奇抜さなどはむしろ身近なものでないので受け入れがたい。でも一般人にうける作品を生み出すイラストレータがそうした最先端のテイストを取り入れて翻訳するように自分のアウトプットに取り入れたら、一般人から見たらものすごくインパクトを受けるだろう。つまり、先ほど述べた「真似して自分のものにするスキル」に加えて「最先端に触れる習慣」もオリジナリティを生む素養になるだろうと思ったわけだ。

ここまで読んでくださった方はもう感じてると思うが「これはどんな世界でもそう」なんだと思う。最先端のコンピュータサイエンスの研究におけるオリジナリティと、実社会で使われるソフトウェア開発のオリジナリティの間の関係だってそうだろう。

一般人相手の仕事におけるオリジナリティは、「真似して自分のものにする能力」と「最先端に触れ続ける習慣」が源泉になるのだっていうのが割といろんなことに当てはまる法則かなって思った次第。