「作るタスク」中心の20世紀、「売るタスク」中心の21世紀

量子テレポテーションの実験においてブレークスルーがあったらしい。

量子ビットの転送効率を飛躍的に高めることに成功したということで、後々の実用化という意味合いでは量子コンピュータを作るときに「量子計算の集積密度に限界のある物理系」を使って組み立てることができるとか、色々な応用が見込めるのだろう。なんとなく「通信」と聞くと、東京・ニューヨーク間での通信といったスケールを想像してしまうが、基礎研究の段階ではそういった空間的なスケールや産業応用の面はひとまず脇に置いといて、理論の実現手法をあれこれと問うてゆくもののようだ。

私は子供のころ、将来は物理学者になりたいと思っていた。だからこういうニュースを見るたびにとてもうらやましく感じ、今の自分はいったい何をやってるんだろうと自己嫌悪に陥ることが少なくない。まぁ、それは私個人の話。

「知的タスク」の頂点に君臨している基礎研究

で、よく思うのはこうした基礎研究って、どんどん専門分化していて、分野の数もどんどん増えて、研究者の数も研究予算もどんどん足りなくなっているよな、ということ。

そう感じる背景には、「人類にとって、科学に関する知は多ければ多いほどよい」という、科学の進歩それ自体を価値とする思想があると思う。けど、それって21世紀も通用する価値観なのだろうか?

20世紀は目覚ましい科学技術発展の時代だった。その発展を支えていたのはおそらく、先進国においてもモノが行き渡っていない時代、つまりいいものが出来れば売れる時代だったからではないかと思う。「売るというタスク」よりも「作るというタスク」のほうが価値がある時代だ。そういう時代において、人類は優秀な層を「作るタスクの中で最も難しくて価値がある仕事」に従事させるのは合理的だ。

モノがあふれる21世紀は「売るタスク」の難易度が急騰していく

しかしいまや少なくとも先進国においては、モノがあふれており新しい商品やサービスというのはぶっちゃけ市場に投入するまで売れるかどうか分からない時代になっている。

そうした時代には、人類は優秀な層を「売るタスクの中で最も難しくて価値がある仕事」に従事させるようになる。東大の先生だった人がソーシャルゲームのKPI管理の仕事に転職するという現象はそうした価値転換を象徴している。

なので昨今のデータサイエンティストブームも一過性のものではなく、本質的に「売るタスク」において知の蓄積が進むのが21世紀なのだと思う。

今は「作るタスク」から「売るタスク」への価値転換の過渡期

20世紀から21世紀にかけてITやインターネットが普及した。高度情報化社会の進行は、解かれるべき課題の数のほうが解決する人材の数よりもはるかに多くなる現象をもたらす。「作るタスク」はどんどん増えて行く。いっぽうでタスクの重要性は「売るタスク」のほうへシフトしてゆく。

つまり、21世紀の最初の10年が過ぎた今は価値転換の過渡期の状況にあるのだと思う。20世紀の大資本は「作るタスク」のリスクとリターンを引き受けることで世界の産業を推進してきた。21世紀の大資本は「売るタスク」のリスクとリターンを引き受けることになる。セブンアンドアイホールディングスのような小売業者が、PB商品を開発し収益をどんどん拡大しているのは良い例だ。

過渡期において、「作るタスク」と「売るタスク」のリスクバランスを取ることは非常に難しい。「作るタスク」に資本が投下され、それを「売るタスク」で回収するという20世紀の資本サイクルが、まだまだ慣性を帯びている。こうした時代において、両者をつなぐプロデューサは非常に貴重な存在だ。

ビルゲイツやスティーブジョブズのような天才の登場を待つだけでなく、プロデュースのノウハウが社会的に蓄積されていく必要があると思う。

そういうノウハウを私が獲得して、後世に伝えたいという思いも、私が起業した理由の一つでもある。

そのノウハウさえ獲得できれば、大成功して大金持ちになるとか、誰にも作れないソフトウェアを開発するとか、そういう表面的なことはどうでもよかったりする。

量子コンピュータのような基礎研究をどう捉えるか

物理学者になれなかったから基礎研究をdisるというのではないが、基礎研究の中で資本投下の取捨選択がシビアに問われる時代になることは確かだ。20世紀であればどれも重要そうに見えるようなたくさんの課題のなかで、社会的に優先順位をつけてエネルギー配分をしていかなければならない。量子コンピュータは実現性や応用可能性の面から見て非常に優先順位の高いテーマなので、今後も基礎研究を積み重ねていくべきだと個人的には思うが、こうした科学技術全体を見渡して優先順位付けを行う政策プロデューサも今後重要な職務として浮上するだろう。

というわけで

取り留めもない文章ですが、そういう風に思ってます。

ではまた明日。