土屋アンナの騒動に見るメディアとコンテンツホルダの力関係
たまには芸能界の話題をテーマに取り上げてみます。
最近話題の、土屋アンナさん主演で行われるはずだった「日本一ヘタな歌手」という舞台が、同タイトルの著書を持つ濱田朝美さん(障がい者のシンガーソングライター)の舞台化許諾を巡って中止になった騒動についてです。
この騒動の当事者は、1.舞台製作会社・監督、2.主演の土屋アンナさん、3.原作者の濱田朝美さん、の3者です。また、もう一人、カギとなっている人物で4.原作著書の編集者で3と1をつないだ人物というのがいるようです。
製作会社の言い分
土屋アンナの言い分
- 主演が決まってから、濱田朝美さんから舞台化の許可をしていないことを聞いた
- 製作側に対して原作者の許可を取らないかぎり舞台出演・稽古への参加は出来ないと通告した
- 製作側からの返答なしに舞台中止の連絡と損害賠償の請求が来た
原作者の言い分
- 1年半ほど前に、著書の編集者を通じて舞台監督(製作会社)に会い、「今後何かあったらよろしくお願いします」と挨拶した
- 舞台化について知ったのは知人からのメール。ネットで検索して、記者会見が1週間後にあると知って驚いた。
- 舞台公演の稽古に入る前に行われた、事前パーティーに招待され、しぶしぶ参加
- その後も製作会社から説明なしに、契約書面へのサインを促す電話だけが続いた
- 舞台の台本は、再三の電話のあとやっとのことで製作会社から入手した
- 台本の内容は原著と全く異なっており、許諾はできない旨を伝えた
現在の状況
- 表向きは、土屋アンナ vs 製作会社 という構図になっている
- 土屋アンナ側は弁護士をたてて事態の収束を図ろうとしている
- 原作者は、土屋アンナを擁護している
- 本当の構図は、原作者 vs 編集者、のもよう
契約書面が無い以上、裁判にはならないでしょう。裁判になったら必ず土屋アンナ・原著者側が勝ちます。あとはビジネス上のパワーバランスの問題でしょう。芸能界では、メディア>プロダクション>芸能事務所≒コンテンツホルダというパワーバランスがあると思います。つまり、4.編集者が一番強く、次に1.製作会社、そして土屋アンナと原著者が一番弱い立場です。
本当は原著者が当事者であるはずなのに、一見直接は関係なさそうな土屋アンナが一番の当事者として矢面に立たされている理由が、このパワーバランスにあります。土屋アンナは、今後も芸能界で生きていかなければならない立場にあります。いやもちろん土屋アンナさんは芸能界をやめても生きていける能力を持っていますが、芸能界を去ることの「機会損失」は果てしなく大きいです。いっぽうで原著者の濱田朝美は、まだ知名度があまりありません。それに、シンガーソングライターにとって、いまやマスメディアは「最も重要なチャネル」ではなくなってきています。インターネットで露出して、リアルのライブでお金を稼ぐというのが主流になりつつあるからです。
そうした当事者間のパワーバランスゆえに、法的に不利な立場にある製作会社が、パワーバランス上自分より弱い立場にある土屋アンナに矛先を向けて、なんとか土屋アンナから妥協を引き出そうとしているのだと思います。
この騒動、法的なところだけを盾に、土屋アンナ側が一歩も引かなかったらどうなるのでしょう? おそらく、「プロダクションやメディア側からの報復」が待っているのかもしれません。
しかし、15年くらい前であれば土屋アンナ側もここまで強く戦えなかったのではないかという気もします。なんとなく私の想像だと、メディアやプロダクションは「こけおどし」をしているだけで、土屋アンナのようなドル箱を逃したくないと別のプロダクションやメディアが考えた時点で圧倒的に不利な立場に陥るリスクもあるからです。
というわけで
この騒動は、表面的な構図を超えて、メディア、プロダクション、そしてコンテンツホルダ(芸能人自体はコンテンツ的な立場にあると思います)という3者の微妙なパワーバランスの上で繰り広げられる「象徴的な事件」なので、背後にある大きな力関係を想像しつつ今後の行方に注目していきたいところです。
繰り返しになりますが、法的には契約書がないのだから、土屋アンナ・原著者側の圧勝だと思います。つまり、力関係がフラットだったら、この事件はそもそも起こらないです。
ではまた明日。