Google・Facebookクラスの企業を作る方法

先日読んだとあるブログエントリ(サイバー藤田社長による鈴木おさむ氏についての記事)が凄く自分に刺さったので毎日ブログを書くというのを頑張ってみようと思う。

今日のテーマはGoogle/Facebookを超える企業を作るにはどういう風に考えればよいか?
について。

僕はロジカルな説明というのが苦手で、雰囲気とか比喩とか仮説を並べて読み手のインスピレーションを喚起するような文章を書くのが好きなので、細かいところはあまりツッコまず、雰囲気で読んでもらえるとうれしいです。

インターネットによって世界の公平性が増した

今は分からないことがあるときググると有用な情報がすぐに出てくる。そのときに情報のえこひいきはあまりせず、検索キーワードに一番マッチする情報をグーグルシステムが選んでくれる。そのおかげで、情報発信者側の都合でゆがめられた情報が得られることが、マスメディア全盛の時代と比べて少なくなった。マスメディアの世界での「作る人」は、いかに大衆にメッセージを届けるかを考えるので、恣意的な要素を盛り込みやすかったが、グーグル全盛の時代になってコンテンツ(サイト)作成者はSEOという(より客観的な)基準で情報を「作る」ようになった。それによってメディアの公平性が増した。SEOという基準を「押し付ける」ことによって、Webの世界がクリーンに保たれるようにもなった。

Facebookは「いいね!」というグーグルとはまた別の尺度で情報を評価をする。グーグルがマス広告のデジタル版だとしたら、こちらはいわば口コミのデジタル版といえるかも。「いいね!」があって「やだね!」が無いのは、グーグルがWebの世界にSEOを押し付けていることと似た効果をもたらしていると思う。だって、Facebook上ではみんなが「リア充」なように見えるではないか。

公平でない情報伝達は衰退する

ネットメディアの台頭が目立って従来のマスメディアの将来性が(本当はみんなテレビもラジオも一切いらないとまでは思ってないのに)危ぶまれるのは、マスメディアにおける情報の生まれ方が恣意的過ぎるからだと思う。しかしコンテンツによってはマスメディアの規模でないと予算的に作れなかったりネットに流すよりテレビのほうが効率よかったりするものもいっぱいある。そういう種類のコンテンツは、1次情報の正確さについては公平性を守ったうえで独自の分析や世界観を提示する(=編集という付加価値)もであれば、ネットメディア全盛の現在においても好んで消費されているはずだ。例えば解説付きのスポーツ生中継や、NHKのドキュメンタリー番組などがそれにあたると思う。

したがって、ネットの台頭によって起こっているのは、マスメディアからネットメディアへの移行というよりも、ネットがもたらした「メディアの公平性の向上」というパラダイムが全メディアタイプに及んでいると考えるべきだ。このことはまた、コンテンツとメディアの分離も促す。コンテンツのタイプに応じて、「公平に見て一番ふさわしいメディア」で配信されるというのが今後も続く方向性だから。

広告ビジネスはどうか?

ではグーグルやFacebookが広告ビジネスで収益を上げていることについてはどう捉えるべきか?

実は、驚くべきことにネットにおける広告ビジネスでは、「コンテンツの生成」においての公平性とは逆により恣意性を高めた情報伝達が行われている。なぜならマス広告と違って、ネット広告はユーザ一人一人に合わせて伝えるメッセージを変えることが出来るから。ただしその恣意性は、オークションという客観的な基準で経済負担に応じて許容されるようになっている。経済的に負担すればするほど、恣意性をもったメッセージを発信できる。例えば「ファミリーカー」というキーワードでリスティング広告を打つには、このキーワードがかなり一般的な言葉であるゆえに、マイナーワードよりもコストが掛かるが、そのぶんこの語が持つ一般性を情報発信者の恣意性で上書きすることが出来る。

マス広告においてこうした恣意的な情報発信をするには、情報の受け取る相手があまりにも多すぎるゆえにそこに何らかの「客観性の演出」をしなければならなかった。つまりマスメディアにおいてはコンテンツと広告が「癒着」せざるを得なかった。こうしたビジネスモデル上の都合が、あたかもビジネスとは遠いところの情報発信の仕方をゆがめるというパターンはほかにもみられる構造だと思う。

ネットメディアにおいても客観性を装った恣意性は衰退する

Web業界にはSEO業者というのがあって、割と手堅いビジネスとして業者数も多くあり市場規模もそれなりにあるが、これまで述べてきたネットメディアの進化の方向性からするとSEOは公正性を強めるものであるため、もしSEOによって情報発信者の恣意性を強めることが可能だという売り込み方をしている業者は、いまは「規模の大きなスキマ産業」であっても将来的にスケールするものではないと思う。逆にSEOを超える公平性を提供するようなソリューションがあれば、たとえ規模は小さくてもグーグルに対峙しうるものになるはずだ。

また、昨今あちこちで見るようになった「ソーシャルマーケティング支援」というビジネスも同様のことが言える。情報発信者の都合を最大限生かすようなものよりも、ネットが今後も強化していく公平性の中でいかに客観的でフェアは情報発信が出来るかが問われるはずで、もちろんそういうやり方をしているソーシャルマーケティング支援ビジネスは有望だと思う。

グーグル・Facebookクラスの企業を作るには?

これまでのこの記事の内容を総括すると、

  • コンテンツとしてみたとき、情報伝達の公平性を高める、良質な情報生成を促す(もしくは強制する)ようなテクノロジーや、人の心理(つい「いいね!」もらうと嬉しくなる)とか、ビジネスモデルとか、そういうやり方であること
  • 広告媒体としてみたとき、経済負担の加減によって情報伝達の恣意性をコントロールできること

という2側面を満たすことが必要条件になると思う。では実際にどうすればいいのか?

それは、みんな自分で考えて起業しようぜ!

というわけで

また明日。