苦労と成功の関係とか人生とか

最近危機感が薄れているので、自分が抱える「社会への恨み」を思い出して発奮しようとツイートしたら、オフィス仲間からブログエントリを紹介された。

世の中で一番危険なのは、「自分はこんなに辛い思いをしているのだから、成功するしかない。」という強迫観念。

そうだよねぇ。人生どうしたらいいか分からなくなったり、何をやってもうまくいかない気がしたりしたら、そういう気持ちになってしまう。一発逆転を狙って大きなことを妄想して、足元が疎かになるってことはある。そういう姿って他人から見てもみじめでみにくいものだ。

でも、それでいいと思うんだよね。それがそういう人生なのだもの。苦くて悔しくて嫉妬にまみれて自分は負け組という感情に翻弄されてのた打ち回る、そういうことってすごく大事だと思う。

負けたと思ったら、悔しがっていい。とりかえしのつかない人生になってしまったと思ったら、泣きじゃくっていい。童貞で女にコンプレックスがあるなら、バイトの時間を増やして余分にお金を稼いだぶんを全部ソープランドにつぎ込んだっていい。一瞬の快楽で緩和するなら、それもいいじゃないか。

もうハッキリと社会を恨み切って大人げなくワンワン泣いてのた打ち回って、それではじめて新しく見えてくるものってあると思う。そしてそれは成功者や、いわゆる普通の幸せな人生を送っている人には決して見えない景色かもしれない。いや、もともとどんな人生でもそれは大切な自分の人生なのだ。

それに、敗北をかみしめて見えてくるものが自分の天命だってこともあるかもしれない。

犯罪はなんらかの「反社会的行為」に及んだ時のことであって、「反社会的な思想」を抱くことは基本的人権によって許されている。だからどんどん泣いて、毎日恨んで、心を落ちるところまで落とし切るべきだ。


僕の未来がもし、とてもみじめなものであったとしても、それでも生きるということはとてもすばらしいって思えるくらい僕は自分に誇りをもっている。

そして、幸運にも、僕は社会的に認められなくて孤独になったとしても、それでも一人で色んなことを楽しめるだけの精神性を授かっている。

そういう意味で僕は、今後の社会的なことについては凄く不安があるけれど、今後の自分の人生にはあまり不安が無い。

むしろ、いつか自分が死ぬってことが怖い。