足りないもの

正月は遊んでいたが、新年の抱負というようなことを考えてもいた。

「私がビジネスで成功していない理由は何だろう。」

結論をいえば、突き詰めるとそれは「志の欠如」ではないかと思う。


もともと私は「高度な技術を実社会で活用する」ことに興味はあるけど、「社会をどのように変えるか」にはハッキリ言って全く興味が無い

なぜビジネスをするのかと言えば、この世で一番面白い遊びとは「独自に生み出した技術で、他人を喜ばすこと」だと思うからだ。どれだけ喜ばせたかを測るバロメーターが儲けつまりお金だ。

しかも、自分が生み出した技術でありさえすれば、分野は何でもいい。たまたま小資本で技術開発がビジネスに結びつきやすいと思ってアドテクにコミットしてみたけど、別にアドテクじゃなくても面白ければ何でもいい。


そうすると、サラリーマンをやったほうがいいじゃないかという話にもなってくる。でもそれは違うのだ。どこかの会社で働くということは、いくら独自の技術を生み出したとしてもその成果は雇用先の会社に帰属するのが資本主義の鉄則なのだ。

つまり、いち技術者は資本家の下で働かなければならない運命にある。

これってとてもバカバカしいことだ。たかが数十万の給料で、自身の創意工夫の成果を全部会社にもっていかれるんだよ?

悔しくてたまらないじゃないか。

だから僕は会社員でいることが嫌だったし、結果として起業している。

一つ自分の使命があるとすれば、こういうマインドをもった技術者でも起業して成功できるというロールモデルになって、資本家に使われるままになっている技術者がもっと金持ちになる社会をつくるということかもしれない。


ここまで読んでくださった方は、私に志がないことが良くわかっていただけたと思う。


でも、やっぱり起業の原点に立ち返ろう。


サラリーマン技術者が心底イヤだからという理由もあって起業してしまったとはいえ、社会のニーズや必要を満たすものでないと技術は使われない、という当たり前のことに目を向けなければならないのだ。


誰に、どんな価値を、どうやって提供するのか?


起業当初はそういうことを一生懸命考えていた。しかしそれを人に説明しているうちに、本当にニーズのあるものを提供するには高度な技術は必ずしも必要ではないことが分かって、考えるのがつまらなくなってしまい、考えるのをやめてしまっていた。

でも、高度な技術が不可欠なベンチャービジネスはきっとあるはずだ。


それを見つけるために、もう一度最初から考えよう。


誰に、どんな価値を、どうやって提供するのか?