保守と革新

毎日ブログ書く宣言からのべ15日目。

今日のテーマは、「保守と革新」という私の考える「人生不等式」について。参院選投開票日当日に表題のタイトルでまったく釣りも甚だしいですが、これは政治や選挙と全く直接関係ありません。あしからず。

大きなことを成す原動力は「情熱」だけか?

私はライト兄弟の話がとても好きだ。ライト兄弟は「空を飛ぶ機械を作る」というロマンに情熱を燃やし、大学の先生たちが作ったデータを分析したり論文や書籍をたくさん読んだりしたうえで実験で試行錯誤を繰り返し、ついには空飛ぶ機械の実現に成功した。
ライト兄弟は牧師さんの家に生まれ、街の自転車屋さんを営みながら飛行機の研究をした。つまり、庶民である。歴史に名を残す人は、庶民から超貧乏から超絶セレブまでいろんな人がいるが、その中でも割と普通の庶民って少ないように思う。

まったく根拠を示さず語るのもなんだけど、大きなことを成そうという情熱は後天的なものだと私は思う。貧乏な生い立ちだったから金持ちになりたいとか、金持ちの家に生まれて親がビジネスに失敗して破産したから自分がリベンジしたいとか、不細工で性格も悪く全然女にもてないから社会的に成功してモテたいとかとか、「大きなことを成そうとする人」には大抵うなずける理由があるものだ。

ライト兄弟はどうだったろう?本当に純粋に空への憧れだけであの快挙を成し遂げたのだろうか?とくに、ライト兄弟は友達もいっぱいいて女の子にもモテるリア充だっただろうか?

あまり語られないことだけど、大きなことを成し遂げる人は、

「そのことへの情熱」>「普通の生活への興味」

という不等式が成り立つと思う。情熱が大きいことがよく強調されるけど、保守的な人生への興味が薄いことも「大きなことを成し遂げる」要因になると思うのだ。ライト兄弟にとって、両辺のシーソーゲームがどのあたりにあったのかは、世界初の飛行機がどういった実験を経て発明されたのかと同じくらい、私にとっては興味がある。
(ちなみに、なぜ左辺が「左」においてあるかは、分かりますよね?w)

日本からグーグルやアマゾンが出てこないわけ

先の不等式に照らせば、右辺すなわちその人にとっての「普通の生活」が一般人とくらべてはるかに高い「上流階級=セレブ」な人であっても、左辺すなわち情熱が大きければ、「大きなことを成す」に至るわけだ。
あまり語られないけどグーグル創業者のエリートっぷりは半端なくて、両親が超一流大学の教授だったりNASAの研究者だったりしてるのだ。そんな家の子にとっては、起業なんかしなくても幾らでも「幸せな人生」は可能だ。アマゾンの創業者も同じで、ジェフベゾスは投資銀行のトップエリート社員だった人だ。一生食べていける収入を30そこらでしかもサラリーマンとして稼いでしまうような人だ。それが起業して赤字を何年も何年も垂れ流すのだ。

日本に例えたらどうだろう。理系のセレブリティというのが僕にはパッと思い浮かばないのでちょっと話をずらすと、例えば家柄も超一流でイケメンでモテモテ、しかも歌舞伎役者としての力量も小さいころから親に叩き込まれて物凄く高いレベルにある市川海老蔵さん。海老蔵氏は、超美人の嫁さんをもらい、「順当に」役者を継いだ。

グーグルのような企業が生まれるというのは、海老蔵氏が歌舞伎を世界に広めるベンチャービジネス企画を裸一貫で作り上げ、エンジェル投資家を回り、日経新聞読売新聞NHKのような一流企業や東大のような一流研究機関から文化振興とビジネス・マネタイズのスペシャリストを口説き集め、世界に打って出る、それでも最初は鳴かず飛ばずで赤字を2,3年垂れ流し、その間マスコミも決してたたかず、ベンチャーキャピタルが寄ってたかって応援してリソースを提供しまくる、そういうことに相当するのだと思う。

「変わった人」に託されている「大きなことを成す力」。

つまり、社会的にモテてない人は「ちょっとの情熱」でも突き動かされるが、社会的にモテてる人がさらにリスクを取るというのはそれだけの「ものすごいレベルの情熱」があるときだ、と思うのだ。だから、社会ステータスがもともと高い人たちがどれだけ「情熱」に突き動かされて保守的な道を外すリスクを取るかは、社会の情熱ポテンシャルを測る良いバロメータじゃないかと思う。
かくいう私も起業したわけだけど、上述の不等式の左辺が圧倒的に大きかったかというよりは、右辺と左辺のバランスが左辺に倒れた、というに過ぎない。むしろ右辺への失望が大きかったとも思う。僕の知り合いの起業家も、そういう人が多い。情熱じゃなく、普通の生活への興味の薄さ、に突き動かされた人たちだ。

もちろん、起業家だけが「大きなことを成す」人たちではない。保守的な環境にいながら情熱をもって行動する人たちもいっぱいいる。全ては、上述の右辺と左辺のバランスで決まる。

というわけで

まとまらない文章ですが、言わんとすることが伝わってましたら幸いです。

ではまた明日。