実業における学力の意味

毎日ブログ書く宣言から(のべ)11日目。

今日のテーマは、実業にとって学力は必要か?必要ならどんな意味を持つのか?というもの。

実業で成功するかどうかと学歴は関係が無い

巷のビジネス書には、学歴が無くてもビジネスで成功した人の自伝や体験談等の内容が書かれたものが結構たくさんある。学歴と実業における成功・失敗の間にはあまり関係がないというのは事実のようだ。学業というのは「教わったり学んだりして応用」する能力を追及するものなので、教えてくれる人や学べる資料が無いケースが殆どの実業の世界で必要とされる能力は学業とは別になるのだろう。

また、実業の世界で必要とされる能力で学校ではあまり教われないものとして

  • リターンを見越してリスクを取る能力
  • 自分の考えを他人に伝えて人を動かす能力
  • 他人の本心を見抜く能力

というのがあると思う。

学力が無くても大金を稼ぐことは可能

具体的な書名を忘れてしまったが、以前読んだ大成功した実業家の自伝本に書かれていたエピソードで印象に残っているものがある。その人は、自分で商売をする元手となる資金をどうにかして作る必要があり、そこで驚くべき行動に出た。魚市場で大量に捨てられる氷のブロックをタダでもらってきて、生臭い表面をお湯で流して綺麗にして、それでかき氷を作って大都会の真ん中で露店を開いて売りまくったというのだ。露店の装飾には多少お金を使って若者受けするオシャレな感じにして差別化をはかり、夏の暑い日に人通りの多いところを狙って大量に売りさばく、ということを行ったそうだ。それで何百万もの金を一気に稼いだという話だった。

このエピソードにあるような行動に学力は不要だ。むしろ学力がある人のほうがプライドが邪魔して出来ないくらいの行動かもしれない。では将来実業家になりたいと思っている子供は、勉強を頑張っても(メンタルの訓練とかいった間接的な効果を除けば)それが直接役に立つことはあまりないのだろうか?

再現性のパターンを知ることのアドバンテージ

ここで考慮しておきたいのは、実業において「再現性」がいかに重要であるか、だ。事業は一人では出来ないため、自分と同じやり方を他人が再現できる必要がある。「いつ、だれがやっても」成果が出るようになってないと規模や時間がスケールしないからだ。その再現性をどうやって担保するかは事業ごとにケースバイケースではあるが、その際に学力はとても役立つ。自分がかつて勉強したことのあるパターンに似たパターンであれば、容易に発見して仮説を立てられるだろうからだ。学問は再現性の見本集のようなものだ。

学問の本質的理解こそが応用を可能にする

では実業家を目指す子供は、勉強したことを将来役立たせるという想定の場合、どういう風に学力を高めたらよいのだろうか。その答えは「深さ」ではないかと思う。学問が応用可能になるためには、その学問の存在意義を知る必要がある。勉強ぎらいな子に「数学が自分の将来にどう役立ちうるのか」という子供自身の問題に絡めて説明してヤル気を呼び起こす優秀な教師は少なからずいるが、本当に大切なのはそういった「勉強することの実利をイメージ可能にする」のではなく、「数学という学問がなぜ存在するのか?」や「社会はなぜ数学を必要としているのか」といった「学問の本質そのものを理解する」ことだと思う。

学力が将来どのように役に立つかは、誰にも予想できないことだ。だから本当に学力を実社会で役立たせようとしたら、学問の本質をこそ理解する必要があると思うのだ。

というわけで

今日は「実業においては学力よりも大切なことが多い」というよくある話に対して、「それは本当の学問を学んでいないからだ」という形の反論をしてみました。

ではまた明日。