マネジメントについて

5日ぶりくらいの更新。今日はマネジメントについて思うところを書いてみます。

私は今、会社で5名くらいのチームのリーダをやっていて、その体験をもとに気づいたことなどを。

社交性とマネジメント

私は社交性に乏しい人間だと自覚しているのだが、社交性がなくてもマネジメントは可能だ。社交性の欠如がデメリットとなるのはマネジメントよりもむしろ広報やPRの仕事だろう。私が思うにマネジメントはとても「事務的・知識労働的な業務」だ。少なくともITの分野においては、事務処理が得意なら社交的でなくても十分マネージャーは務まる。

人はどんなとき働くか

人には色んなタイプがいて、何にモチベーションを感じるのかは人それぞれ違うが、共通していると思われるのは、「人は仕事のゴールとそこに至る手段を理解していると、本人の最大スピードで働く」ということだ。これは「仕事は生活費を稼ぐ手段だと思っている人」についても当てはまる。人(日本人?)は本来、働き者なのだ。(このことは私にとっては、今年自分で発見したことの中で最大級の発見だった)。したがって生産的でない労働者には以下のようなパターンがある

  • ゴールを聞かされてないため、ゴールが分からない(あるいは誤って認識してる)人
  • ゴールを聞かされているが、そのゴールが理解できない(あるいは誤って認識してる)人
  • ゴールは分かっているが、やり方を教わってないので分からない人
  • ゴールは分かっていて、やり方を教わっても理解できない人
  • ゴールも手段も理解しているが、適性がないため仕事が遅い(=本人の最高速度)人

これらのうち、最後の「適性がない人」については仕事のミスマッチングなので本人と相談の上で配置転換や解雇を選ぶことになるだろうが、そこに至るまでにマネジメント側でやれることはとても多い。

一般的なエンジニアの多くは

これまでを思い返すと、「ゴールが分からない(手段は自力で何とでもなる人)」と「手段が分からない(ゴールと手段を教われば作業自体はマジメにやる人)」が殆どだった。いわゆる「職業プログラマ」には、「新しい技術を自分で習得しようとはしないけれども、それを教わって業務で使うよう指示されれば一人でOJTしながら作業を進められる人」が結構多く存在する。出来る人から見たら、教わってできるんなら最初から自分で必要な技術を見つけて仕事に活用できるじゃないか、と思うかもしれないが、実際に「最初のきっかけだけ与えれば自分の力で進めながら習得できるのに、最初のきっかけを自分でつかむことができない人」というのは結構存在する。これはマネジメント側の労力は大きいが、きっかけ作りだけすればよいのでかかる時間は少なく、マネジメントとして実は「おいしい仕事」である。また「設計書を渡しさえすればスケジュールを立てて着実に仕事を進めるプログラマ」も少なくない。

そんなわけで、一般的にソフトウェア開発マネージャーとしてやるべきことは、ゴールとその背景を教えた上で、

  • 出来る人には手段までは指示せず任せ、技術的な会話で交流しつつ、ときどき進捗を確認
  • 出来ない人には、時間を割いて手段を教え、ゴールを繰り返し伝えつつ、細かく進捗を確認

という感じになる。わざわざ出来ない人に時間を割いて教えるのは苦痛なところもあるが、上でも述べたように「最初のきっかけ」だけ手取り足取り教えてあげると、それ以降は自力で進めてくれたりして、「当初こちらで抱いていたその人の無能っぷり」が「意外とそうでもない」と思えるくらいに成長することがあり、そこでマネージャとしての喜びを感じることができる。

「コイツめっちゃ使えなかったけど、やれば出来るじゃんか」

ってな具合に。

インド人の低コストに太刀打ちするには

しかし、そういう手取り足取り教えてあげる必要のあるようなエンジニアは、オフショア開発がもっと普及すると仕事がなくなることは目に見えている。それで失業しても本人の自己責任といえばそうなのだが、そういう人が失業しないためにマネジメント側に出来ることがある。

それは、組織として開発プロセスを徹底したり最新技術を共有したりする仕組みをうまく作ることだ。「その組織に所属して普通に仕事をしているだけでそれほど頭を使わなくてもインド人よりも高い生産性が発揮される」ような優れたマネジメントの仕組みを自動化するのだ。

「自分で考えて動く知識労働者が増えてマネジメントが困難になる時代」がやってくるといわれるが、私が思うにそれはちょっと違う。自分で考えることの出来る人は、とても少ない。だからこれからのマネジメントの課題は、「ほんの一握りの自分で考えることの出来る人」とそうでない人の間に生まれるであろうギャップを自動的に埋めてくれるようなマネジメントシステムをどう作り上げるかというテーマに尽きる。

そんなマネジメントシステムを構築する困難さは、マクドナルドが「ハンバーガーなんて作ったこともない高校生アルバイト」を「使えるスタッフ」に仕立て上げる仕組みどころの話ではない。「教わりさえすれば何でもやれると思っている人」に「ゴールも手段も見えないような現象の中で課題を見つけ解決まで責任を持ってやり遂げられる人」と同等の戦力を発揮させなければならないのだから。

そういう感じで

マネジメントに対して認識してることを書いてみました。最後の「ふつうの人を知識労働時代の戦力とするためのマネジメントシステム」については、後日また具体的な展望を書いてみたいと思います。

ではまた明日。