短期的観点での先進ITとGDP

今日はコンビニで買ったボジョレーヌーボーを飲みながら、コラムを書いてみます。
いつもと違ったテンションになるだろうか。

効率化と雇用

いつも楽しく読ませてもらっている、「ちきりんの日記」。その中でも時々思い出す名作エントリの一つがこれ。

マンキュー経済学〈2〉マクロ編」によると「超過需要があるときはインフレ傾向になって失業率が減り、その逆はデフレ傾向になって失業率が上がる(フィリップス曲線)」ので、いまのような供給過多な状況下では本来は失業者が増えるはずなのに、「なんか無理やり経済をまわして供給過多を解消(=雇用維持)してるなぁ」というのが上記エントリの要旨だと思うが、そういう理論的な土台への言及なしに平易な言葉でしかも本質を失わず、さらに筆者独自の価値基準をも含めて書かれているのがちきりんさんのすごいところ。

それはさておき、上記エントリを読むと「無駄」のやむにやまれぬ事情が飲み込めるだけに、最近流行のデータマイニングやオートメーションなどの高度なITが短期的にもたらす副作用について少し考えてみたくなる。つまりITによる効率化は短期的に見た場合に「社会全体の富を増やすのか?」「公平な社会の実現に寄与するのか?」という疑問があるわけだ。

資源に乏しくても内需と金融資産があれば短期的には大丈夫

そういう考察をしたくなる背景として一言ふれておきたいのは、日本は資源に乏しい国といいながら、実は貿易依存度がそれほど高くないという事実があることだ。つまり「資源の乏しさ」についてはトヨタや一昔前のソニーのような輸出企業が(物々交換で)獲得した「外国の資源」を内需をブン回すことでみんなに行き渡らせるみたいな構造に、この国はなっているのだ。

昨今の円高も、もしかしたら、(輸出入といった)貿易依存度がそれほど高くない日本だけに痛みも少ない、みたいな「見えざる手」が働いてるのかもしれない。つまり、円高が進んで輸出が大きく減っても、その円高で(金融資産を使って)実質的にたくさん輸入できるから短期的には大丈夫でしょ、っていう感じで「見えざる手」が作用してるのかも、と思うのである。そうだとしたら「無駄」だろうがなんだろうが、とりあえず内需を維持しておくというのはそれなりに大事なことだとも思えてくるわけだ。

ちょっと脱線したかな。閑話休題

効率化は富を増やすか

自由に市場で取引すれば資源や商品・サービスの交換を「最大限に効率化」(=最適化)できるというのは確かにそうだが、最適化することと富を最大にすることは直接には関係がない。それは「均衡する」のと「拡大する」のが別の話であるのと同じだ。だからITが手段となるようなミクロな「ビジネスチャンス」には、マクロな「社会全体で生み出される富の合計(=GDP)」に貢献するものとしないものがあると思われる。すなわち、

「ITを使ってXXする」のXXで、名目GDPに貢献するものは

  • (A) 必要ないはずの取引(=無駄遣い)を拡大させる
  • (B) 生産性を上げる、生産的なところへ人を移す
  • (C) IT自体が直接、最終消費者に対して新たな便益をもたらす

貢献しないもの(短期的にはむしろ名目GDPを減らすかもしれないもの)は、

  • (a) 人手でやっていた単純作業を、直接ITを使って「より少ないコストで済むIT」に置き換える
  • (b) ITを使って生産(企画、マーケティング、流通なども含む)を最適化(無駄を減ら)した結果、コストが下がる

といったことが考えられる。

いわゆる勝ち組グローバル企業についていうと、アップルは(A)<(B)<(C)という感じだし、グーグルは(A),(B),(C),(a),(b)それぞれに万遍なく広がっている感じがする。

理想論としての「エンジニアの本願」

データマイニングのような高度ITは、長期的に見ればきっと社会全体の富を拡大するのだろう。(その長期というのが何年あるいは何十年のスパンなのかは良く分からないところではあるけど。)

でも私としては、少なくとも10〜30年くらいの短期的なスパンで見ても「明らかに世界全体の富を拡大する」ような事業にコミットしていきたいし、逆に「イス取りゲームをいかに攻略するか」みたいな仕事は出来れば避けたいと思ったりもする。そういう思想を持って自身のキャリアを考えると、もう「起業するしかない」という結論に至ってしまい複雑な気持ちになる昨今である。

なんだか客観的に書くつもりがかなり個人的な結論になってしまった。「内需を回しつつ実質的な富をも拡大させる」方策を考えるつもりだったのだが。。ボジョレーヌーボーも720ml空いてしまい、内需を回すより前に自分の酔いが回ってしまったようなので、この辺で終わりにする。

ではまた明日。