主観的な事柄の大衆的な傾向を定式化する

今日は他にやることがあるのだけど、毎日更新のペースを保つべくコラムを。

主観的な事柄の定式化

「面白さ」とか「悲しさ」とか、いわゆる「主観的」なことは数理的に定式化するのが難しい。けれども、「ジブリアニメ」や「大ヒットソング」など、多くの人が「良い」と認める作品には、人間の普遍的な特性が何らかの形で反映されているんじゃないかとも思える。仮にそうだとすると、「人間の普遍的な性質」に由来するところがうまく定式化できれば、普遍的な「面白さ」や「悲しさ」、例えば「エンターテイメント性」のようなことを、何らかの客観的指標でもって測れるんじゃないかと思えてくる。つまり、「個人差の多少はあれど大衆・ポピュラー的な面での大まかな傾向」というのは結構定式化の余地が実はあるんじゃないかと。

完全に機械的に判断できるような定式化が出来れば理想だが、「ある部分については既に数量化が出来ていると仮定した上で、その上位概念を数理的に定式化する」という形の検討も十分価値があると思われる。

以下では、そういう可能性を検討してみたい。

その1:「エンターテイメント性」

いわゆる「エンターテイメント性」は、哲学っぽくいえば「普段の生活で感じる感情の起伏と比べてどれだけ大きく感情を揺さぶられるか」と定義できそうだ。

感情が揺さぶられる状態の定義を考えてみると、

  • 「驚き」= 全く予想していなかったどんでん返しが起こる
  • 「楽しさ」= ふだんはコントロールできない物事や人がコントロールできる
  • 「悲しさ」= あって欲しい(無いと困る)物事や人が、無くなる
  • 「寂しさ」= 近くにあって欲しい(無いと困る)物事や人が、遠くにいく
  • 「嬉しさ」= あって欲しい(無いと困る)物事や人が、在る、近くにくる
  • 「怖さ」= あって欲しい(無いと困る)物事や人が、無くなる可能性がある
  • 「可笑しさ」= ルールや習慣を冒すにもかかわらず、「怖さ」が無い

という感じだろうか。けっこううまく定義できたんじゃないかと思うが、まだまだ主観的な要素が含まれてもいる。

ではなぜ「主観的な要素」が含まれていると感じるのか。それは「個人の立場や経験」によって「程度が変わる」ような基準を上の定義で使っているからだろう。例えば「驚き」の「全く予想していない」という部分は、その人がどういう体験をしてきたかによって予想できることが変わるわけだし、「楽しさ」の「ふだんはコントロールできない」という部分も、物のコントロールなら「習熟」という経験で変わるし、人のコントロールなら立場によっても変わるだろう。

つまり、「大衆的・ポピュラー的な傾向」というのは、その時代の多くの人がどういう立場や体験をしているのかによって決まってくるといえそうだ。ヒット映画やヒットソングが世相を反映する、というのは当然ながらよくあることだ。そうすると、「人の立場や体験」をパラメータ化し、そこから「予想可能性」や「コントロール可能性」、「あって欲しい物事や人の属性」を導き出しだすようなモデルが作れれば、(さらに「可笑しさ」の基準となる「ルールや習慣」のモデルとも組み合わせることで)客観指標のようなものが計算できるかもしれない。

さらに、もしかするとだが、「ポピュラー的な指標」が定式化できると、それと対照する定式として、「ハイカルチャー的な指標」や「サブカルチャー的な指標」も直ちに得られるかもしれない、という期待も湧いてくる。

その2:「母性」と「父性」

もうひとつ、「母性」と「父性」についての定式化可能性を検討してみよう。なんとなく思う定義は

  • 「母性」= 「悪いこと(社会規範)・良いこと(社会評価)」を越えた「価値観や行動」を受け入れる性質
  • 「父性」= 「悪いこと(社会規範)・良いこと(社会評価)」を鑑みた「価値観や行動」を作り上げる性質

といった感じだ。

「価値観」や「行動」をうまくモデル化できれば、あとはそれに「良いか悪いか」を付与するだけで定式化できそうだ。「母性」や「父性」が定式化できると、CAI(コンピュータ教育)の分野でものすごい応用が拓けるのではないかと思えてくる。その時々に応じて、「母性」や「父性」を使い分けて、より幸せな人生へと人を導く「真に人にやさしいシステム」ができるかもしれない。

他にも色々ありえるでしょう

そんな感じで、主観的な事柄の大衆的な傾向を定式化するというテーマは、これからも考え続けたいので、不定期シリーズとしたいと思います。というわけでいつか続きを書くかもです。

今日はこの辺で。

(追記メモ:2011/11/23)
「ニュース性」というのも考えられそう。世間でおこうること、起こりえないことが確率分布として表せれば、事象を与えたときのニュース性が計算できる。そうしたら「ジャーナリズムの自動化」が出来るかもしれない。何らかのコミュニティプラットフォーム(SNSとか)にそれを搭載すれば、コミュニティ内で起こった面白いことや変わったことを自動抽出・編集して今日のヘッドラインを出せるわけだ。さらに、「架空のニュースをたくさん生成する」ようなアプリケーションも可能で、それを使って「人が思いつかないところを刺激する、脳みそ活性化」みたいな展開も可能になるかも。